「GIRL FRIENDS」第9話の衝撃。百合で「××でない」ことを考えてみる

コミックハイ1月号の「GIRL FRIENDS」第9話での衝撃発言に酷く揺さぶられました。
頭がグラグラする…
そして胸がモヤモヤして晴れないのです。


※以下、「GIRL FRIENDS」の連載分ネタバレがあります。
単行本派、及び、本誌1月号未読の方はご注意ください。
またネタバレを避ける為、記事タイトルの一部を伏字にしてあります。




























※この記事は創作物、特に百合作品においての個人的な考えです。性的な差別の意図はないことをご理解ください。



今月に待望の1巻が発売になった「GIRL FRIENDS」は森永みるく先生の、女の子同士の友情をゆっくり描いた漫画です。
内容に関してはウチでも1巻のレビューをしていますので、よろしければそちらを参考にどうぞ。

 → 参考:友達になって親友になって、そして恋心へ - GIRL FRIENDS(1)



端的には、地味で大人しかったまりが、おしゃれで明るいあっこと仲良くなったことで世界が広がりどんどんと可愛くなり、友達から親友へと親密になっていくお話です。
そして親友としてではない、それ以上の感情が芽生えてきて戸惑っているのが今の連載の状況。


GIRL FRIENDS」第9話での衝撃発言を受けて


で、1月号の第9話ですよ。
あっこの家で女友達4人で集まっていて、まりが退室して戻ってきたそのドアを挟んで聞いた、友人・たまみんの言葉は…



あっこの元彼、「初えっちの相手」の話。



まりにとって衝撃の言葉であり、読者にとっても衝撃すぎる爆弾発言。特に百合好きにとっては。
一瞬目の前が真っ暗になり頭がグラグラする、心境としてはそんな感じ。
しかも、ここで第10話に続くというヒキ。


森永みるく先生は、女の子同士の関係を描いた作品でも往々にして男が絡むことがあるのは重々承知していますし、不思議でも何でもありません。
こんなことで「GIRL FRIENDS」が好きなのは変わりませんし、「GIRL FRIENDS」を一番の目当てとしてコミハイを買い続けるのも変わりません。
でも何だろう、この胸のモヤモヤは。



要するに「あっこが処女じゃない疑惑」が出たわけです。
確定な気もするし、本人のセリフじゃないしどうなんだろうなぁ、という感じでもあります。
エロゲの記事でたまに見る「ヒロインが非処女で絶望」というのもわかります*1が、私は「付き合っていた男がいたならば普通にセックスはしてるだろうな」という認識なので、処女信者というわけではなくとも、ショックはショックですよね。


メイド諸君!」の3巻で鳥取が「ちょこが処女じゃない」と知ってショックを受けたその感情はわかりますが、さすがにその後の行動は人としてどうかと思う*2ようなそんな感じでしょうか。ちょっと違うか。



モヤモヤの一端は、この強烈な次回へのヒキ方にもあります。
この状況で次までお預け、しかも隔月連載作品なので次に読めるのが2ヶ月後!
まさにレイニー止め
漫画の次回へのヒキとしては、かなり効果の高いものになっています。


このモヤモヤは、百合オタが百合展開をしている漫画で「ヒロインの1人が処女ではないと明らかになる」状況に出逢ったからこそ、という部分も多分にあるはず。
それならば、このモヤモヤと不安はどういったものなのか?を考えてみようと思います。
そういう口実で自分を落ち着かせたいと、そういうことです。


男の影がちらつくことに対する不安


百合作品で「性行為をしたことがある」と明言されることは、「男の影が見え隠れする」ことを連想させます。
男の影が見え隠れすることでどうなるかというと、「男キャラが登場して、ヒロイン2人の間に絡んでくるかもしれない」という不安を生じさせます。


百合好きにとって「百合として見ていた作品が、最終的にヒロインの1人が男とくっついて終了」というのは最悪な終わり方のひとつ、バッドエンドに他なりません。
その可能性を彷彿とさせるのです。


以前に「百合漫画に男は不要だ」という記事を書いたのですが、まさにそれ。
 → 参考:百合漫画における男キャラの立ち位置


「百合として展開していた作品に、突如現れた不純物」。そういう不安を連想させるのです。


百合の持つイメージからのギャップ


百合作品には”純白””清らか””穢れのないもの”といったイメージがあるものが多くあります。
ある種の”神聖性”というイメージ。
行き過ぎると、神格化された偶像的な扱いもあり得る。


舞台設定からして「大切に大切に育てていく箱庭のようなある種の閉鎖された環境」であったり、「間に他人が入り込めない絆のある関係」を持つものも多い。
そしてそれが、百合の醍醐味のひとつとも言えます。



そんな中で「処女ではない」と明言されるのは、生々しすぎるのです。



「過去に彼氏がいた」≒「異性とセックスをしたことがある」ということは薄々理解しているのですが、それを明らかな言葉として突きつけられるのはやはり生々しく、神聖化されたある種のイメージとのギャップを感じる。
百合作品に登場するメインの女の子は中高生が多く、それを踏まえると生々しさは増大します。


幻想が打ち砕かれる、その恐怖と言えるでしょう。

もう1人のヒロインに感情移入している


漫画の読み方は人それぞれなので、これは特に当てはまる人とそうでない人がいると思います。


私の場合、「百合は第三者としてメインの2人を眺めている」という読み方をしていることがほとんど。
愛でるもの、という感覚です。


かといって、主人公達に全く感情移入しないか、というとそうではありません。


特にこの「GIRL FRIENDS」の場合は、主人公であるまりの視点でほとんどが進みます。
モノローグもまりのものです。
まりが、あっこに対する感情に戸惑う様を読者は読んでいるので、まりに少なからず感情移入をするのは自然なこと。



まりにとって、あっこは初めての親友という特別な人。
その感情は親友から、「思わずキスをしてしまった人」であり「唯一、キスをしたい人」へと変わっていっている。
相手が同性ではありますが、おそらく初恋なんじゃないかな、と思います。


そんな初恋の相手、それも同い年の高2の女の子が処女じゃないと知ったら、それはもうショックは大きいことは想像に難くありません。
まりがあっこと仲良くなったのは高1の時で、その時には彼氏はいなかったので経験自体はそれ以前のことと思われ、まりもそこに思い当たることでしょう。



というわけで、読者がまりに感情移入しやすい作りになっているので、まりの受けたショック同様に読者もショックを受けやすくなっている、と。
百合好きであれば、これは衝撃を受けざるを得ない気がします。


最後まで見てみないことには判断できないこともある


とはいえ、「男と付き合った経験があって、その上でもっと好きになった人が女の子だった」という展開に落ち着けば、それは百合的にはとても好ましいことなのです
そこに落ち着くまで、つまり終わってみるまで判断の付けようがない部分ではあるので、それまではヤキモキしっぱなしには違いありませんが。



GIRL FRIENDS」に関しては変わらず大好きな漫画ですし、森永みるく先生の漫画も好きです。
とりあえず、続きが読める2ヵ月後までレイニー止めに苦しむことになるのだけは確定しました。


*1:伝奇など恋愛以外の要素が物語のメインとなるエロゲはこの限りではないと思います。

*2:好きな女の子が処女じゃないとわかって「さわらないでください、不潔です」と拒絶