放浪息子(6)



放浪息子(6)/志村貴子(Amazon)


「女の子になりたい男の子」と「男の子になりたい女の子」を真正面から描く漫画、「放浪息子」。
昨今の良い女装漫画の中にあって、この漫画ほど自身の倒錯した趣味・性癖に悩み成長していく少年少女を描いた作品を知りません。
私は志村貴子先生の漫画を読むときには、不思議と決まってドキドキして胸がギュウギュウを締め付けられるのです。ギュウギュウ。
それだけ特殊な印象を与える作家さんなんだろうなぁ。



千葉さんに「男の子として女の子の高槻さんが好きなの?女の子になって女の子として高槻さんに愛されたいの?」と訊かれた二鳥くん。
思春期のあるまじき深さ。


二鳥くんの結論は「女の子としてみてほしい」「高槻さんのことを男の子だと思っているから」というもの。
この考えは「女の子になりたい」という願望の元に出ているのですが、二鳥くんが好きなのは「女の子」ではなく「男の子になりたい女の子」。
5巻のマコちゃんの「ぼくって男の人の方が好きなのかなぁ」というセリフで気になったのですが、もし高槻さんのように「男の子になりたい女の子」が近くにいなかった場合、二鳥くんの少女への願望は変わらずとも、好きになったのは「女の子」なのか「男の子」なのかが気になります。
「高槻さんのことを男の子だと思っているから」のセリフから、仮に高槻さんがいなくとも男の子を好きになっていたんじゃないかとは思うのですけど、どうなんでしょう。


高槻さんのことが好きなので、単純に「可愛いものが好き」だから「女の子の格好をしたい」というだけではなく、どういう形であれ恋愛感情はあるんですよね。
千葉さんに色々言われたり「好き」と言われても、異性として意識しているふうにもしていないようにも見えて、読み取りにくい。
もっと読み込みが必要だなぁ。



性格や思考が「女の子になりたい男の子」という域を出ていないように見受けられ、このあたりは成長とともにどう変わっていくか是非見たいところ。
中性的な今の性格のまま大人になるのか、はたまたユキさんのようになるのか。



毎巻思うことなのですが、「少女への憧れ」≒「女装」≒「少女化の願望」≒「幻想」であり、読んでいると「女の子になれる」ということが普通のことのように錯覚してしまうのですが、真っ向から否定をするまほの存在はかなりのキーパーソンですね。
「毛深くなったり声変わりすんだね」のセリフにハッとさせられ、涙目の二鳥くんとともに現実を突きつけられます。
読んでいる私には女装願望はないですが、願望的なことをテーマとしながら登場人物に現実を突きつける、というのがこの漫画に惹かれるポイントなのかも。



そして遂に、女性用下着にまで手を出し、着てみる二鳥くん。
ギャグ漫画なら笑って読めるんですが、この漫画だと…重いよ!



「女装」というテーマは今後、考えて記事を書いてみたいです。
時間があれば!



あ、演劇に関して何にも触れてないや…



放浪息子(6) (BEAM COMIX)

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