自分の感じる「百合という感情」をかなり真剣に考えてみた。

先日のタカハシマコ先生の「この感情は百合だ。」という言葉を見てから、自分が感じる”百合の感情”はどんなものか考えて続けています。


そんな中、先日のたまごまごさんのエントリが非常に面白くて、触発されて一日中考え込んでました。

タカハシマコ「タイガーリリー」の、終わらない少女感覚たまごまごごはん


たまごまごさんの感じる百合、「少女性」特有の感情を「乙女ケーキ」収録の一編「タイガーリリー」を通して考察されています。


漠然と感じていたものなんですが、文章で読むと「そうそう、コレ!わかる!」と感じるのはさすがたまごまごさん。
必要なのは”少女であること”そのものではなく、”少女性があること”。


個人的に”百合≒レズ”だと考えているのですが、その違いに”少女性”があるんじゃないかとふと思いました。
自分だけで考えていたら、絶対に”少女性”という考えはでてこなかっただろうなぁ。



どんなジャンルや定義でも、「あなたがそう感じたものが○○です」というそれぞれの感覚で良いと思います。
その上で、話し合いをするのが楽しいんですよね。
自分とは違う意見でも、一端受け入れて考えることで、自分の考えをより深くできるハズです。


百合という感情を考えてみる


さて、「この感情は百合だ。」から考えてみます。


前にも書いたことですが、これはもうその通りで、「この感情が百合だ」と感じたならそれは百合。
恋愛感情や特定の友情から感じることが多いですが、個人の感覚によって変わってくるものなんですよね。



そしてその感情は、必ずしも恋愛感情である必要性はなく、友情ですらない感情でもいい。
極端な話、”憎悪”ですら百合と感じるものはあります。
あまり見かけるものではありませんけれども。
判断は個人の感じ方によりますが、全ての感情が範疇に入る可能性があるのが面白い。



百合は「精神的な繋がり」が醍醐味だと考える百合好きの方も多くいます。
身体的な接触がないばかりか、明確な恋愛感情がない作品も多くて、そのあたりは通常の恋愛モノと違う「百合ならではの面白さ」だと思うのです。


私の感じる百合。”二人だけの間に生じる感情”


ここから完全に私の感じる”百合”の話になります。
一つの意見として見て頂ければ幸いです。



「この感情は百合」だと感じたものが百合なのですが、自分はどういった感情に感じるか?
ここ数日、かなり本気で考えてました。


そうして気付いたものが、

少女間の排他的な感情・関係

なんとも上手く言い表せないのですが、こんな表現になりました。


「彼女と一番仲がいいのは私なのに」という友情や、嫉妬や独占欲といった”第三者を排除したがる愛情”、”周囲が見えなくなり、二人だけの世界を構築する程の感情”なんかが、解りやすくて多くみられる感情でしょうか。
あとは、「変だとわかっているのに、同性の彼女が気になる。彼女でなければダメ」といった、一般的な感覚からズレて「彼女」以外を好きになれない感じとか。



歪んでますね、私。
多分、私の百合観が「幻想的で耽美」というものが根底にある*1からこんなことを考えるんだろうなぁ。


勿論、関係の清濁の程度の差はありますし、感情の意識・無意識の違いはあります。


この「排他的な感情」の行き着く先、ある種の究極形が「二人だけの閉鎖された世界」
ライトなものだと、「草原を駆ける爽やかな少女二人」なんかに、立ち入れない感覚を覚えるのがそれだと思います。
マリみての「姉妹」制度は、そこまではいかないまでも、こういった要素を感じるのですがいかがでしょうか。



ここまで深く考えさせられた「乙女ケーキ」、「タイガーリリー」は、百合を抜きにして見ても素晴らしい作品だと思います。
機会があれば、是非読んでみてください。
タカハシマコ先生の今後の作品が楽しみだなぁ。


関連

その感情は百合 - 乙女ケーキ
タカハシマコ「タイガーリリー」の、終わらない少女感覚たまごまごごはん


ああ!そういえば、まだ「乙女ケーキ」の各作品の感想書いてないや!
近日中に書きます…


乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)

乙女ケーキ (IDコミックス 百合姫コミックス)

*1:サガフロンティアのアセルス様×白薔薇姫に起因しています。同時期にウテナのアニメも放映されてたし。