「かしまし」に感じる百合要素を考えてみる



かしまし 〜ガール・ミーツ・ガール〜/桂遊生丸 原作:あかほりさとる(Amazon)


まとめて読み返してました。
今更ながら、「かしまし」の記事です。


やっぱり面白い!
とまりが可愛すぎて可愛すぎて、ラストは何度読んでも「ああ、もう幸せになれよ!良かったね!」と思えて仕方がありません。



この漫画は、「はずむが女性化したことで生じた関係の変化と恋愛の進展・成就」「性別を超越して、その人がその人であることの大切さと絆」といった部分をメインとした人間関係が面白さだと思います。


とまりは、はずむへの好意を自覚し、二人で過ごした日々や約束を踏まえて、はずむに本心でぶつかっていくことができるようになり、目の前にある現状とこれからの日々へと向かい合っていく。
やす菜は、はずむが女になったことで好意を、自分の気持ちをはずむに明確に伝えることができるようになり、自身が変わっていくことができた。


とまりもやす菜も、はずむをはずむとして見ており、はずむの内面を見ています。
性別に関わらず、はずむがはずむであること重要。
はずむが「自分は女性になってしまったから、とまりややす菜を好きになるのはおかしい」と考えていないことからも、とまりややす菜にも「それぞれがそれぞれであることが重要」という意味合いを持っている漫画なのかもしれません。


TS漫画だが、百合を感じる


さて、先日の記事の「TS作品の中に百合を考えてみる」で、「TS漫画はTS漫画で百合とは別モノとして面白い」と締めたワケですが、


「かしまし」には百合を感じます。


百合とは別次元で面白いというのは冒頭で少し述べていますが、それは別として「どういった部分でこの漫画に百合を感じるか」を考えてみたいと思います。



完全に個人的な考えな上に、「かしまし」の面白さの本質とは別の部分である”百合要素”を抽出してそれを考えている記事なのでご了承ください。


はずむ自身が持つ要素


この漫画は「はずむが事故により、女性体になった」ことが始まりです。
「男→女」という設定それだけでは、百合要素を持たない傾向があるのは先日の記事で考えてみました。


それでは、この漫画で百合を感じる要素として、はずむが持つ要因は何なのか。

・はずむが男性体に戻ることを目的としてない、また、戻れない
・女性になったことを受け入れている
・はずむの性格が中性的
・元々の男の姿が明確に描かれていない
・はずむがの立ち位置が”受け”側である
・はずむが男性ではなく女性に好意を抱く


これだけ思い付きました。



『男性体に戻ることを目的としてない、また、戻れない』というのは大きいと思います。
戻ることを目的としているならば、戻った時のことを想定して男性として振舞う可能性があります。
また、はずむが優柔不断で流されていた性格ということもありますが、戻れないからこそ『女性になったことを受け入れている』という部分に繋がる。


性格的には中性的で、元は男だったという扱いですが、本人からあまり”男らしさ”を感じないのも大きいかと。
元の男の姿が明確でないことも、男らしさを感じない要因のひとつです。



そして、やす菜ととまりに告白され、好意を寄せられてあたふたする姿は、「元々は男である」ことをさらに薄れさせているように感じます。
そう感じるのは私だけかもしれませんが。


元々が男だったことと、女性になってから女性に告白されたことから、はずむは男性ではなく女性に好意を抱くのも自然な流れでしょう。
こうして”女性化した男と女の子の恋”の構図ができあがり、女性化したはずむを女性と感じる要素もあって、百合として感じるのだと思います。


女性体になったはずむへの周りの人たちの接し方


この漫画に百合を感じる要素として、はずむ本人が持つ要素の他に、周りの人々が持つ要素もあるはず。
それも考えてみます。

・やす菜が、男性が見えず女性しか目に映っていない
・男性が見えないやす菜が、男性時のはずむを目に映していた


やす菜は何らかの障害からか、男性が見えません。
認識はできるが、顔がわからない。


そのやす菜が、顔はぼやけていたかもしれませんが、見ることができた唯一の男性がはずむでした。
そのはずむが女性になったことで明確に見えるようになり、これからも姿が見えなくなる可能性がなくなったことではずむにアタック。


やす菜がはずむに”はずむが女性になってから”アプローチしているのは、百合を感じる要素としてはとてつもなく大きい。
やす菜本人ははずむをはずむとして見ており、「女の子が好き」というわけではないでしょうが、それは最早些細な問題でしょう。


・とまりがはずむへの好意を自覚して認めたのが、はずむが女性になってから


昔から一緒に過ごしてきたとまりが、はずむへの好意をはずむが女性になってから認めたのも、百合妄想を掻き立てる要素だと思います。
こちらも、昔から家族同然に育っているので性別を超越して、「はずむははずむ」「とまりちゃんはとまりちゃん」と見ているのですが。


・親友である明日太が、はずむを女性として認識している
・家族が過剰にはずむを女性として扱っている


元々の男のはずむを知り、ごく親しい人達。
彼らのはずむに対する接し方が、意識的・無意識的に関わらず「はずむを女性として扱っている」のは結構大きいのではないかと。
昔から男のはずむをよく知っている人が女性として扱う…「それほどまでにはずむが女性に見える」という印象を読者に与える効果があると思います。


それにしても、5巻の明日太はカッコ良すぎた。
彼も根っこの部分では「はずむははずむ」として見ている親友だという、良い場面でした。


・女性化前から女性的な外見だと周りから思われていた


「もともと女の子だった気がする」というセリフがあり、男の時にも女性的だと思われていたようです。
こういったメインキャラ以外の認識が「はずむが男だった」というイメージをより薄れさせている気がします。



とまりとやす菜が性別に関係なく「はずむをはずむとして好意を持っている」という恋愛の構図があり、「はずむが女性」に見える要素もあることから、私は「かしまし」から百合を感じます。


TS漫画に百合を感じるファクター


「かしまし」から、「TS漫画に百合を感じるファクター」をまとめてみるとこんな感じでしょうか。

・女性化した男性が、男性に戻ることを目的とせず、事実、戻れない
・女性化した男性が、性格的にも外見的にも女性的になっていく、または元の男性らしさを感じさせない
・その上で女性と恋愛をする


やはり「TSで百合」というのは相当に難しそうです。